2008年3月19日水曜日

お一人さまの老後  上野千鶴子著

薦められて上野千鶴子さんの「おひとりさまの老後」を読んでみました。

ぜひ一読をお勧めします、特に女性にとってはいい提言もあり、参考になるのではないでしょうか。
「ピンピンコロリ」運動は、ファシズムであるとの意見は、まったく予期しなかったものでびっくりしました。
すなわち、ピンピンコロリとは他人の御世話にならないで、さっさと死んでゆくことを意味しますが、その言葉の裏には、少しでも社会のお荷物になりそうなもの、規格はずれの異物を排除しようという思想が見え隠れする、ファシズムであると言ってます。

この部分だけ取り上げると、ちょっと過激な感じがしますが、所詮人はだんだん老衰して、寝たきりになって(平均的に8.5ヶ月寝たきりになる)、死んでゆくのが自然なので、こちらの方が当たり前であるわけです。
看取る人がいようがいまいが、死んでゆく人は一人で逝くことになるのですから。
一人で残る確率は、65-69歳では女性52対男性48、 85歳以上では、72対28になりますので、女性のほうが断然「おひとりさまの老後」になる率が高いわけです。

今、マイノートを編纂しようとしていますが、この本の中にも、参考にすべきことが書かれています。

アマゾンの書評を添付しておきます。


4 件のコメント:

ガーネット さんのコメント...

ピンピンコロリ(PPK)は理想の死に方である反面、突然死であるから、それは「不自然死」であると。人間「不自然死」な状態にまでもっていくのは、その背景には要介護状態への拒否感、極論すれば手助けが必要な老年期を見たくない、受け入れたくない、回避したいという態度。PPKを礼賛するのは、
その一方で元気でない高齢者を差別し、弱者を退ける発想であると。それは、かつてナチズムがホロコースト(大虐殺)という形で弱者を死に追いやった歴史とだぶらせて、PPKを助長するのは一種のファシズムという形
で著者は表現しているのでしょうね。
上野千鶴子さんはジェンダー(男女における性差)研究の第一人者で、私も何回か講演を
聞いたことがありますが、最近は高齢者問題に関する発言が多いですね。
単身者であれ、妻帯者・夫帯者であれ、「最後は誰でも”おひとりさま”」と言われています。私も同感です。
私の実家(中野)の周り(向こう三軒両隣)は皆、配偶者と死別し女性のみ一人で生活しています。それも10年以上も”おひとりさま”を続けています。でも、嬉しいことに皆
元気です。
大事なことは”おひとりさま”になっても、
その後どう生きるか、どう生き抜くか、”おひとりさま”になった時のライフスタイルを
どうするかですね。
マイノートは、”おひとりさま”になっても慌てず、騒がず、燐として生きていける、それが自宅であろうが、施設であろうが関係ない、そんなライフスタイルを考えるヒントにでもなればよいですね。我々の会もそこまで踏み込んで提言していければよいな、と思います。

匿名 さんのコメント...

そのとおりですね。 今の居宅介護は基本的に、誰か家族がいて、その補助的サービスを提供することになっています。
行政は、おひとりさまの老後 と言う現実を踏まえてはいないように思われます。
母の実情を見ていると、とても血の通った介護サービスが受けられるとは思えません。

ガーネット さんのコメント...

上野千鶴子さんが週刊ダイヤモンド(4月
12日号)で「血縁、社縁でない第3の人間関係(選択縁)がおひとりさまの味方」と述べています。選択縁とは、用途別にパートナーの在庫を揃えることで、ご自身では教養のパートナー、悩みに乗ってもらえるパートナー、アウトドアスポーツのパートナー、お食事のパートナー等々を揃えているとのこと。
また「わからないのは男性の友人関係で、男性は付き合う相手をいつも値踏みしている」とも述べています。
確かに、ある種の物差しをもって付き合うか
否か、自分の尺度で相手を測る節が男性にはあるように思いますね。

匿名 さんのコメント...

言われてみれば、ビジネスでは常に相手の状況とか、こちらへの関心などを考えながら付き合っていました。
そういう意味では、常に相手との距離感を把握しないと付き合うのが不安だった様に思います。
その距離感を物差しというのかも知れません