2010年4月3日土曜日

介護施設に入るのをどのように伝えるか




居宅介護でもそうだが、介護を受ける人が、外部からのヘルパーさん受け入れや、介護施設に入る事を、誰が、どのようにして説得するのか、難しい役目だ。
自らの意志で決意することがとても大事だが、そこへ到達するまでのプロセスを考える人や、その役割を担う人のことは、介護問題では余り話題にならない。

上野千鶴子さんは、施設に入った方が「安全・安心」だから入りなさいと言うが、一体、誰が「安全・安心」なのかと皮肉たっぷりに言っている。
確かに、居宅介護の経験のある人なら分かるが、その経験の無い人、特に男性の場合は観念論に終始して、「普通、子どもが引きとって面倒をみるものじゃないの」などと、平気で言う。
私もそのように言われてとても悔しい思いをしたことがある。
分からないので仕方がないが、自分の場合でも経験が無ければ、きっと同じ事を言ったかも知れない。

大抵の場合、親を施設に入れる時は、相当の葛藤があってその結果として、決意を促し、自ら決意をしている。

私の仲間で、親ひとり子一人の女性のケースを紹介したい。母親は若いときに夫と死別して、その後、公務員をしながら子供を育ててきた。
大学卒業後、彼女は東京で就職、別々に暮らして40年程経っていた。
母親は元気で、田舎でひとり住まいを楽しんでいたのだが、ちょっとしたことで転んでしまい、それが原因で歩行が困難になった。
そうなると田舎での独り住まいは、難しいのだが、母親は東京の暮らしには抵抗があり、近所の友達にも助けられながら、独りの暮らしを続けていた。
しかし、徐々に体力が落ち、独り住まいが困難になったため、仕方なく東京へ引越し、彼女と同居を始めた。
仕事をしながらの介護だが、初めのうちは双方にとって幸せそうに思えた。
二人共、長い間一人暮らしだったので、相手がいることが便利で気が紛れるし、母には年金もあり、経済的にも恵まれた親子二人暮らしであった。 

しかし、その母が衰弱し、車椅子生活になり、自宅で入浴サービスなどを受けるようになってくると、母を独りで家において仕事を続けるのがだんだん難しくなってくる。
生来、母親は一人暮らしが長かったためか、自分のやりたい事ができない生活に不自由もあり、不満も溜まってくる。
介護保険で、ヘルパーさんにもお世話になっていたが、何かあると会社に母親から頻繁に電話がかかってくるようになった。
夜間も介助が必要なことが増え、彼女の仕事に支障が出始める。

随分悩んだ末、彼女は母に
「お母さん、このままでは私の仕事が続けられなくなるし、お母さんも昼間私がいない間困ったことも多いでしょ、どこか安心のできる施設を探すので、入ってくれませんか ?」と言ったところ、
「私はお前をそのように育てた覚えはありません、ちゃんと自分の親の面倒くらいは見なさい」と言下に否定された。

彼女はそれを聞いて、ああ、この人も変わった、昔は、「自分も独りで生きてきたので、お前も独りで生きなさい、決してお前を頼ったりしないから」と言い続けたのだが・・

その後、介護と介助で大変な生活が続いた。 
朝、明らかに憔悴しきった状態で出社してくるし、いらいらして周りのスタッフとぶつかることも多くなってきた。
欝の症状も目立つようになり、仕事にも支障をきたすようになってきて、上司から私も相談されるようになった。
こんな時、他人に出来ることは愚痴をきいてあげるくらいだ。

しばらくして、彼女の様子が少し変わってきた、どうしたのか聞いてみたら
ついに意を決して、お母さんに
「私は、もう限界、仕事もダメになるし、私の生活はもう崩壊しているの、悪いけど、良い施設をさがすから、そこに移って欲しい」と宣言したのだ。

お母さんはその後、1ヶ月間ほとんど口をきいてくれなかった。
そして、遂に「私も覚悟を決めました、ずっと長い間独りで生活してきたのに、ついあなたとの生活が楽しかったものだから、それに甘えていたのね。どこでもいいから老人ホームに入るわ」と言われ、二人で思わず手をとりながら涙を流した。 

母親は理性の勝った人で、娘に迷惑をかけてはいけないと解っているのだけど、年をとって弱気になり、しかも二人きりの親子だから、情が強く出てきたのだろう。
その後、母親は近くの有料老人ホームに入り、毎週末には親子で散歩に出かけたり、食事を一緒にしたり、仲良くやっている。

我々も、だんだん介護や介助を必要にする年代に突入しているが、今は元気だから、子どもたちの世話にならないで、いよいよとなったら施設に入ろうと考えている。 即ち、まだ理性による、情の抑制が効いているが、果たして、衰弱した時に、情が理に勝るのではないかと恐れる。

その意味からも、早い段階で「マイノート」の記入が必要かなと思うのだ。

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