2009年10月7日水曜日

高齢者社会とケア 上野千鶴子さんの講演から

「おひとりさまの老後」の著者である上野千鶴子教授の講演から、抜粋したものを紹介します。
家族像が大きく変貌してきている現代において、介護問題のなかにその変化が顕著に出てきている。
これからの自分自身の老後と、介護を考える上で、示唆に富む内容です。

1.高齢化と家族の変貌
同居家族の状況を見ると、1960年代子供と同居していた高齢者の割合はおよそ70%であったのが、2006年度には、夫婦のみ、一人のみの合計が52%になって、高齢者世帯の状況が大きく変わってきた。
それに伴い、高齢者の意識も変貌し、「老後を誰に頼るか」との質問に、1950年、「子供に頼る派」は60%、だったのが、1963年ごろ割合が逆転し、「子供に頼るつもりがない派」が1995年には60%を超えた。現在ではこの割合はもっと高いと思われる。
そうなると、子供とは別居で、家計も別という高齢者世帯が過半数を占める状況になってくる。

2.家族に法的介護責任はない ?
民法には家族(子から親へ)の法的介護責任なんて言葉は出てこないが、親から子には「生活保持義務」があります。 子から親へは「生活扶助義務」だけがあり、この扶助の内容は、お金を出す義務があって、手を出す義務はない。
だから、親が要介護状態になったときに第三者や公的権力が介入できるのは、介護者を付けて、そのことによって費用負担が発生したときの費用弁償を子供に求めることまでしか出来ない。
ところが、最近「高齢者虐待防止法」が制定されて、虐待の擁護者責任が問われるようになった。この場合擁護者とは誰なのか、同居して介護している夫婦の一方なのか、同居して親の介護をしている子供なのか。そうだとすると、同居していない子供はその責任を問われないのか。 あるいは子供の配偶者、すなわち親族ではないものは擁護者責任を問われるのか。
法律が出来たばかりなのでまだまだかなりの問題が含まれている。

3.家族に介護能力はない ?
歴史的に高齢者介護が本当に家族の中で行われてきたのか、こんな超高齢社会が成立する前の日本社会では、そもそも年寄りの数が少なかった。「寝たきり」になってもそんなに長くその状態ではいない。
今、平均寝たきり期間(亡くなるまでにすべての高齢者が寝たきりになる期間)の平均は8.5ヶ月。
これは年々伸びていて、この2年間で0.2ヶ月も延長された。介護水準が高いせいで伸びている。
要介護高齢者と称するもの自体が歴史的に全く新しいと言わざるを得ない。

4.要介護高齢者の登場
そもそも介護保険ができなければ、要介護高齢者は存在しなかった。介護を要するかどうかは、今は介護度認定と言う公的な機関が判定するが、それ以前は誰が決めていたのか。
そういう人は居なかった。その時には要介護と今日の水準から見て判定できるはずの高齢者であっても実際のところ、それにふさわしいような介護を受けることなく遺棄、ネグレクトされた高齢者達がいたに違いない。例えば、介護の中で「床ずれ」というのは高齢者虐待の1つになっており、床ずれを作るというのは介護の中で最低のこととされています。 しかし、昔の寝たきりのお年よりは「床ずれ」があるのが当たり前でした。介護の水準が全く違ってきている。要介護者の数が増えたのみならず、期間が長くなった。栄養水準、衛生水準、医療水準、介護水準が上昇したおかげです、すなわち文明の証です。
このような人達(要介護者)が昔から家族の中にいて、家族でこのようにお世話していたと言うのは、根拠のない思い込みに過ぎない。

5.介護保険の効果
介護保険が出来たときに、介護を外注することに対する抵抗がありました。しかしここへ来て大きな変化が起こりました。 介護保険は一人世帯の介護を想定していません。家族が居ることを前提に、家族の介護負担の軽減が政策意図であり、その通りの政策効果をもたらしました。 同時に介護保険利用への抵抗が急速に薄れ、権利意識が普及し定着しました。 介護保険施行初年度、要介護認定のうちの利用率は5割でしたが、わずか3年後の介護保険改定期には利用率が8割まで伸びたのです。
もともと介護保険は医療保険の財政破綻を糊塗するために出来ました、在宅支援を言う美名の下に
できるだけコストの安い介護を供給しようという意図でした。しかし実態は施設利用が急速に増えてきて
いわば「うばすて」的な利用が主体となってゆきました。

6.利用者ニーズとは何か ?
介護保険は在宅支援を中心に使用と意図されたのですが、その意図ははずれ、施設志向が強化される結果となった。 地域のニーズを見てみると、ホームヘルプよりデイケア、ショートステイ施設のニーズが高くなっている。誰のニーズか、勿論家族のニーズだ。施設入居を選択しているのは、圧倒的に本人ではなく、家族で、デイケア、ショートステイなども自分で進んで行く年寄り少なく、たいていは家族がなだめすかしながら連れて行っているのが実情だ。
最近になって在宅支援が再び伸びているが、これは高齢者夫婦世帯と単身世帯の増加に伴って、ホームヘルプが増えているのだ。すなわち出て行って欲しいのは子供の都合であることが、よく分かる。
施設の入居者に聞くとたいていの人は、「施設の人はよくしていただいていますが、やはり家に帰りたい」と言うのだ。どんな素晴らしい施設よりも、どんなぼろ屋でも自分の家が良いと皆言う。
その家に帰れない理由は、たった1つ、そこには家族がすでに住んでいて、家に帰らないで欲しいと思っている。 そのサービスに応えているのが介護施設サービスなのだ。

7.家族介護への選好
ところで、「家に帰りたい」という高齢者のニーズが、家族に介護してもらいたいと言う希望なんだろうか。
面白いデータがある。 「あなたは誰に介護してもらったら抵抗を感じますか」という順位。
男性の要介護者
婿>嫁>若い女性介護士>若い男性介護士>中年男性介護士>息子>娘>中年女性介護士
女性の要介護者
婿>若い男性介護士>中年男性介護士>嫁>若い女性介護士>娘>中年女性介護士
男性も女性も、中年の女性介護士が一番抵抗がないようです。
このデータには配偶者が入っていないのが欠陥です。現実には嫁が激減して変わりに娘が上昇してきています。そして同居介護が減り、別居介護が増えてきています。誰か一人介護者が決まると、他の家族は手も足も出さないくなる。介護者は非常に孤立する傾向があります。

8.家族介護の質は高いか ?
介護の質が高いというのは、良い介護のことだ、良い介護とは何か? それは要介護者が受けたい介護である。 家族はその意味では、まずアマチュアであって、資格・専門性・経験・訓練がない。
にもかかわらず、専門のヘルパーさんには許されない医療的介護、吸痰のような介護が家族に許されると言うのは、素人に医療介護を許し、プロに許さないということになる。
これは、家族なら要介護者をどのように扱っても構わない、生殺与奪の鍵を握っていることを、法律が認めていることになる。
また、一方、介護する家族のストレスは非常に大きくて大変なことは、だんだん知られてきています。
「家族介護のストレスの原因」は何か、それは「どこまでやっても十分ということがない」、これを家族介護の「無限定性」といいます。

9.人はいかにして介護者になるか  (ケアリング「笹谷2000」調査報告から)
家族介護というが、誰が誰を介護するかの組み合わせで、家族介護の質は非常に変わる。という調査報告があります。
・ 家族が介護を選ぶとき ①娘=>母 22.2% ②妻=>夫 19.7% ③嫁=>義母 17.8%
④夫=>妻 17.8%
一番多いのが娘が母を介護するです、嫁と義母の割合は減っています。
・ 介護を引き受けた理由 ①娘=>母 自分しか介護者がいない/愛情 ②妻=>夫 自分しか介護者がいない/愛情/当たり前 ③嫁=>義母 自分しか介護者がいない/長男の嫁としてのつとめ ④夫=>妻 自分しか介護者がいない/愛情/責任
家族が介護者を選べるのか、介護を引き受けた理由を見ると「自分しかいない」という事で、殆んど選ぶことが出来ない。 イギリスのメアリーディリーと言う介護研究者は「選べない介護は強制労働だ」と言っています。

10.介護者の事情
いくつかの事例が紹介されました。
①妻の場合 ・老老介護 70,80歳代も ・重度の在宅介護 ・夫の依存性が高い ・孤立しやすく、他の介護資源が得られない(要介護者が嫌がる) ・介護虐待 どちらが加害者で、どちらが被害者か
②嫁の場合 ・評価なき介護 やって当たり前 ・感謝なき介護 家の最下位者 ・対価なき介護
・介護ストレス大 ・嫁の意地介護 自分の気のすむような介護 ・他の親族の協力を得られない 他。
③娘の場合 ・既婚、別居の娘も介護負担を免れない ・多重介護、別居介護 ・夫への遠慮、意思決定が出来ない ・介護退職、再就職不安 ・夫(婿)の協力を得られない 他。
④夫の場合 ・定年退職者の場合は仕事に代わる新たな生きがい ・仕事遂行型の管理介護 ・ノウハウと情報はある ・介護者主導型介護 要介護者の妻はそれに従う ・介護の社会資源を利用しやすい
⑤息子の場合 ・中高年単身男性の老親との同居 ・介護能力、生活能力共になし ・社会的孤立 ・介護虐待、経済虐待/介護放棄など ・母親に被虐待当事者意識が薄い ・外部からの介入が難しい 他

11.施設での「家族にできない介護」とケアの最適配分
介護施設では、究極の理想を「家族的な介護」においている所が多い、家族的な介護とは、家族に出来ない介護のことで、それは「やさしくなれること」である。
これはどうしてかと言うと、やさしくなれると言うのは5時までやったらいい。5時になったら介護者は帰る。金曜日までやったらいい。ここまでやればいいと言う、限度のある介護、節度のある介護、距離のある介護だからだ。
家族介護はどこまでやったら十分と言うことのない無限定性のサービスで、だからこそストレスが大きくなる、介護者がストレスを持っていれば、そのしわ寄せは必ず要介護者に行く。
そうなると「家族に出来ない介護」とは、「やさしくなれること」だと言うことになる。

方向として、ケアというものを責任と愛情と、実際のワークを、多様な人たちの間で分配する。これをケアの最適分配と言う。家族は取替えのきかない関係です。取替えのきかない関係そのものとして、愛情も憎悪も家族が調達して、代替可能な資源はプロにお願いする。そこに第三者の介入と外部資源の利用を積極的に行う。家族の間であっても、適度な距離というものは必要だ。







0 件のコメント: